お早うございます。早起きディレクターです。
最近はスマホに付属するカメラ機能の進歩が凄まじく、素人でも簡単にキレイな写真が撮れる時代になりました。
おかげさまで世界中の至る所で(アマチュアの)凄腕カメラマンが溢れかえっております。
ちょっとした観光地などに行けば、若者だけでなく高齢のおじさんやおばさんまでがスマホを片手に記念撮影。
中には長い棒を振り回して自撮りに精を出す人(なぜかアジア人に多い?)もたくさん見受けられます。
「美しいもの、珍しいものを撮影して記念に残したい」という素朴な気持ちは痛いほど理解できますし、自分だって毎朝カメラ片手に散歩しながら風景写真を楽しむのが趣味ですから、他人に文句は言えません。
ましてや「一眼レフは良いけどスマホは許せん!」なんて身勝手なことを言うつもりもさらさらございません。
みなさん大いに写真を楽しめばいいと思っています
ただ・・・ですね。
ただ、どこかで偶然に事故や災害とでくわした時、また誰かが怪我をして苦しんでいるような時にそれを物見遊山で撮影するだけではなく、スクープ映像的にパシャパシャ撮影して、なんならSNSに投稿して悦に浸るような行為だけはやめてほしいものだ、などと思ってしまう今日このごろなわけです。
別にスマホで事件映像を撮ることが日本の法律上なにか問題があるわけではありませんから「そんなの俺の勝手だろ!!」と、凄まれればそれまでなんですが・・・
ましてや今はテレビでもそんなアマチュアさんがスマホで撮影したスクープ映像を使って自社番組で放送しているくらいですから、テレビ側にもかなりの問題はあると思います。
阪神大震災時で失ったテレビへの信頼
テレビ側といえば自分が30代なかばで、まだディレクターになったばかりの1995年。
関西、特に神戸を襲ったあの大地震での記憶、とくに当時のテレビ新聞各社の報道合戦の思い出は今だに生々しく、そして”禍々しく”心に残っております。
正直に言って、あの時に自分のテレビ報道に対する信頼はかなり失われました。
まだ生存者も大勢残っているかもしれない災害現場の上空を爆音で飛び回るたくさんのヘリコプター。
しかも、飛んでいるのが救助用の自衛隊ヘリならまだしも、なぜか各放送局のヘリコプターがたくさんくるくる現場の上を飛びまわっていました。
その瓦礫の下では生存者がかすかな声を絞って助けを叫んでいるかもしれないのに・・・
ほかにも、ある慈善事業者が滋賀から神戸の被災地に物資輸送するためにヘリコプターを使う、というニュースがあったんですが、その撮影のためにテレビ局がもう一台ヘリコプターを用意した映像(上空を並走撮影していました)を見たときはその番組担当者の愚かさに仰天しました。
*もちろん中には朝日放送の「ABCで〜す」という番組などは、地元ならではの有益なローカル情報発信(例えば町の銭湯情報など)や、ライフライン復旧のためになかなか優れた協力取材をしていた番組もありました。
でも、いつもテレビを眺めながら不思議に思っていたのは
「なぜ、各社がそれぞれ連携し合って各被災現場ごとに分担を決めて報道しないのか?」と、いうことです。
分担どころか、逆にさらなるスクープを狙って東京から続々とやってくる取材陣&リポーターたちもいました。
僕は知り合いのカメラマンなど技術スタッフが災害現場に幾人も駆り出されていたので、そんな東京からやってきたリポーター達のちょっと信じられないような言動をいくつか耳にしています。
家族が埋まった瓦礫の前にひざまずき涙を流すある遺族を見つけた日テレのあるリポーターなどは、生放送中こそ同情的にふるまいつつも、一旦番組がCMが入った途端カメラマンに「いまのシーン、ちゃんと感動的に撮れた?」などと、なかなり不謹慎な発言をしていたという話も聞きました。
あの時のテレビ界はそんな現場の裏話で溢れかえっていました。
だから、あの時放送された感動を装った映像のいくつかはそういったテレビ側の都合で美談に仕立てあげられたようなものだと思っています。
悪意って「伝染ルン」ですか?
さて、あれから30年弱。
テレビがあの頃より進歩して、今の社会の役に大いに立っているのかといえばはなはだ心もとない気がします。
逆に、あの頃の自分都合の取材スタイルがいまやさらに一般の人にまで感染してしまったかのようです。
じっさい、ユーチューバなど写真動画に関わる一部の人々はさらにセンセーショナルな映像を求めてますます過激になっているようです。
ほんと、やれやれです。
そういえば昔のカメラのコマーシャルで「写ルンです」というものがありましたね。
便利だけど悪意をふくんだモノって本当に人から人へ「伝染ルンです」・・・なのかもしれません。
もちろん、僕は過激なものより素朴なものや美しい映像の方が好きです。
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