お早うございます。早起きディレクターです。
自分は長いあいだTVのロケ・ディレクターをやらせてもらったものですから、日本の数多くの場所に馴染み深い土地があります。
さらに関西圏にいたっては、担当させてもらった旅番組が長寿だったおかげで(例えばMBSちちんぷいぷいの「とびだせ!えほん」やKTV「ふるさとZIP探偵団」)特別に懐かしい場所が数多く存在します。(しかもかなりピンポイントで!)
「とびだせ!えほん」のあの場所があの日のまま
最近、京都東山の白川筋を訪ねた時には「とびだせ!えほん」の第一回目ロケ(2012年4月)で撮影した小さな橋のあたりに通りかかり、そのあまりの変化の無さに感動したものです。
当時、番組をご覧になった方の中には覚えてる方もいらっしゃるかもしれません。
桜を背景に白川にかかる小さな橋を長谷川義史画伯がピンク色の傘を持って横切って歩いていた場所です。
この場所が11年後はこんな感じ。
これが古いものを大事に残してくれる京都や奈良などのいいところだと思いませんか?
自分の大切な思い出がいつまでもそこに存在してくれるのはありがたいものです。
(もちろん、今の季節ならこのアングルからは撮影しないでしょうが・・・)
もしかしたら京都好きの日本人年配客の多くも、そんな懐かしい気持ちを何度も何度も味わうために京都に通っているのかもしれない。
毎日どんどんあたらしく高層ビルが建て替えられていく東京や大阪のような大都市だとそんなことは叶いませんから。
青春の思い出・・・阪神電車とラブホテル。
そんな中、一昨日は兵庫県西宮市のとある病院にお見舞いに行くことになりました。
面会前後の時間がかなり空いてしまい、ただ、「ぼーっ!と」駐車場で待っているのも芸が無いのでちょっとある場所を散策することにしました。
実は病院から車で10分ほど離れた場所には阪神香櫨園という駅があり、その近辺には大学時代の一時期、音楽サークルの仲間たちといっしょに生活しながら貧乏で甘酸っぱい春を過ごした懐かしいアパートがあったんです。
それからなんどか近くを車や電車で通り過ぎたことはありましたが、正式に町を訪れるのは初めてでした。
およそ40年ぶりになるでしょうか。
で、カメラ片手にうろうろ歩きながら町中のそれらしい場所を探しまわったんですが・・・これが、まったくわからない。
あのころの風景が影も形も残っていません。
仕方ないので家に帰ってから撮影した写真に映った番地と当時の手紙の住所を照らし合わせて確認したところ、ようやく「アパートのあったのは、ほぼ、このあたり」という場所が判明しました。
それが下の写真です。
でも、やっぱり、そこには見覚えのないお洒落な住宅が行儀よく並んでいるだけでした。
でも、考えれば無理もありません。
この西宮というところは今から28年前(1995年)の1月17日に阪神淡路地方を襲った大きな地震でほとんどがめちゃくちゃに破壊されまくった町ですから。
当時でさえおんぼろだった老アパートなんかが残っているはずもありません。
ちなみに当時僕は「ふるさとZIP探偵団」という旅番組のディレクターとして神戸や西宮を何度も訪れていた経験から、震災直後はバイクで地元に食料などの物資を輸送していた経験があります。
その時、歩道を走りながら(車道はぐちゃぐちゃで走れない)ヘルメットのシールド越しに見た、かなりえげつない光景は今でも忘れられません。
そういえば、香櫨園のアパートの大家さんは中国出身の方でけっこうなお金持ち婦人(当時はそう見えました)だった記憶があります。
かなり鷹揚な方だったようで、我々のようなむさ苦しい貧乏学生にも格安で気持ちよく部屋を貸してくれたものです。
あの大家さんは今頃どこでどうしているのかな?
地震のときは大丈夫だったのかな?
もしかしたらふるさとの中国に帰ったのかな?
そんなことを考えていたら、ふと、中国という国が歴史的には長いんだけれど戦争や革命などで国の権力者が代わる毎にそれまでの文明を徹底的に破壊する・・・という怖い習慣を思い出しました。
それもなかなかに凄まじい話ですよね。
そんなこんなで、やっぱり京都のように古いものを少しでも残してくれる日本の文化って僕たちにの肌に合うよなあ、と今更ながらに考えた次第です。
・・・・・・
さて、古いアパートは無くなっていましたが、部屋の便所の正面から見えたラブホテル「HOTEL US」は今も立派に残っていました。
(香櫨園を象徴した「ベルサイユ」はもうありませんが)
ちょっとだけうれしかったです。
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