お早うございます。早起きディレクターです。
TVディレクターという職業柄、これまで様々な仕事や立場の人に出会う機会にめぐまれました。
素晴らしい作品を生み出す職人さんの背中からは「時間」の重みを感じました。
厳しい自然と向き合う農家や漁師さんの手を見て「謙虚」という言葉が思い浮かびました。
時には一流のスポーツ選手、また大物といわれる俳優さん方の発する言葉の「凄み」に圧倒されもしました。
もちろん市井の人々の中にも思慮深い「立派」な方々はたくさんたくさんいました。
今ふりかえれば、それらの人々との出会いは自分の人生にかなり豊かな彩りをもたらしてくれたと思っています。
人の喜びとは他人に奉仕すること
さて、そんな人々との会話の中で多くの人がよく口にする言葉があります。
それが
「人様に喜んでもらえることが仕事をする上で一番嬉しい」ということです。
結局、人間って他人の役に立つときが一番充実しているのかもしれません。
その仕事に伴う報酬もちろん大事なんですが、それよりも他人に喜んでもらえることの方がもっ重要。
はばかりながら、かくいう自分だってそんな風に考えながら長いことTVの仕事に携わってきたつもりです。
(もちろん時に自分本意な方向に進むこともありましたが)
最近YouTubeを見ていたら、武田邦彦さんというテレビでもおなじみの科学者の方がこんなことを仰っていました。
「他人のために働いているときのほうが自分の細胞が喜ぶ」
いきなり細胞と言われても「?」でしょうからもう少し説明すると・・・
他人のために尽くすと細胞が喜ぶ?
生物が絡み合って一つの生物を構成することを「絡合(らくごう)」と言うんだそうです。
科学的にいえば人間というのは大きな集合体であって一つのかたまりである。
だから「人が自分のために使った時間は自分のためにはならない。
他人のために使った時間だけが自分の人生(のため)になる」
すなわち「他人のために働いているときは自分の細胞も喜ぶのだ」と。
たしかに生物とはそういうものなのかもしれません。
そして、先程のような取材先でであった人々の言葉も結局そのことを言ってたのかもしれません。
母親という存在
ちなみに武田さんに言わせると世の「母親」という存在こそが、その奉仕の典型なんだそうです。
そういえば、母親ほど自分の利益や報酬を無視して365日間ずっと子どもだけのために尽くす存在はありませんからね。
母親だって子どもへ奉仕することが生物としての本能だとすれば、きっとそれは幸せなことなんでしょう。
しかし、最近の世の中では男女をはじめとした性差別やジェンダーなどの問題などが声高に叫ばれていて、(しかも中にはビジネス絡みの者まで!)これまで人にとって当たり前だったことが当たりまえではなくなりつつあるようです。
もちろん差別は許されないことですが、問題の本質はどんどんずれていっているように見えるのは自分だけでしょうか。
こんなことが進むと、いつかは、かつてのような「母親らしいあり方や喜び」も無くなっていくのかもしれません。
実際のところ今の世の多くの女性のみなさんは自分の幸せをどんなふうに考えているのでしょうか。
子どもに尽くすことは女性にとってどういうことなのか?
よかったら教えてください。
ちなみに5年前に亡くなった我が母は一体どう思っていたのか?
生きている時に一度聞いておくべきでした。
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