お早うございます。早起きディレクターです。
久しぶりにテレビ時代の昔話を少々。
かつて東梅田から少し歩いたあたりに「キャヴァンクラブ」と言う名の有名なライブハウスがあったことをご存知でしょうか。
そこで生演奏するバンドはあの「ビートルズ」のコピーバンドばかりでした。
黒い瞳の”ジョン・レノン”がリッケンバッカーをかき鳴らし、右利きの”ポール・マッカートニー”がベースを弾き歌い、”ジョージ・ハリスン”役の男性も”リンゴ・スター”役の男性も全員が懐かしのおかっぱ頭(マッシュルームカット)で、お客さんも演奏する側にあわせて「ヤー!ヤー!ヤー!」と大合唱。
いわばそこはコピーされたビートルズの聖地でした。
そのお店は数年前に閉店してしまいましたが、それでもビートルズに憧れておなじようにモノ真似を楽しむ人々は日本だけでなく世界中に今でもあふれています。
それほどまでにみんなが真似したくなるビートルズってやっぱりすごいですよね。
ビートルズのコピーバンドに涙する同期?
さて、今を遡ること38年前。
25歳で大阪天満にあるテレビ制作プロダクションに入った僕はある日、同年入社のAD仲間数人と酒を飲んだ勢いで?そのマニアックなライブハウスに初めて潜入しました。
世の中にビートルズのコピーバンドがめちゃくちゃ多く存在することにもびっくりでしたが、それよりも一緒に行った同期の発言がさらに衝撃だったことを今も覚えています。
その男性、K君は普段の発想もユニークでいわゆるオリジナルティーを大切にする映像的才能にあふれた人物(のように当時は思えました)だったんですが、そんなビートルズのコピーバンドをしばらく眺めてから一言。
「プロやのに他人のコピーばかりするなんて、なんてこの人たちは悲しいんやろう」
そう言いながら彼は涙まで浮かべていました。(泣かんでもええやろ!)
その時はかなり酒もはいっていたし、まだまだ血気盛んだった若造ならではの発言なのでしょう。
しかし同じように若いけど彼と違って凡人だった自分は「それは演者さんに失礼やろ!」とは思いつつも彼の発言に対してちょっと”嫉妬に似た焦り”を感じました。
「やっぱり才能のあるやつは言うことが違うなあ」
その後、K君とはいつしか職場も離れ音信が途絶えました。
その時出演していたビートルズのコピーバンドの皆さんもその後どうなったのかもちろん知りません。
もしかしたらいまでもビートルズの曲を演奏しているのでしょうか?それとも全く別の楽曲を演奏しているのでしょうか?
いずれにせよその時の言葉「プロなのに人のコピーばかりするのは恥ずかしいことなのか?」という問題はある意味で自分の仕事のテーマとして残りました。
モノマネって恥ずかしいことなのか?
これまで60余年、音楽にせよ映画にせよ文化的な意味ではけっこう恵まれた生活を送ってきたと思います。
若い頃からなれ親しんだいろんな楽曲や映画のワンシーンは職業としての映像ディレクターとしても大いに役に立ちました。
何かを学ぼうをする場合にはいつも”お手本”となるべき作品がそばにあったわけです。
もちろん時に誰かの作品の真似をすることもありました。
でも、考えてみればこれまで自分がお手本にしたものやコピーをした物事って、ほとんどはそれが「格好いいから」であるのはもちろんなのですが、それプラス「もしかしたらこれくらいなら俺にも出来るんじゃないか?」などと、凡人に少し横着なことを思わせてくれるものが多かったようです。
いわゆる”シンプル”なものですね。
シンプルだからこそ一見簡単そうに思える。
だからみんな真似をしたがる。
それこそロックバンドの多くがビートルズの楽曲を真似たがるように。
止まっているボールなら簡単だろう、とおじさん達がゴルフに夢中になるように。
小さいころ、だれもが富士山の絵を一度は描きたくなったように・・・(ちょっと違うか?)
しかし!
その甘い考えが曲者で、シンプルなものってなかなか凡人には本質を真似しきれないわけです。
そりゃあ当たり前ですね。
シンプルで奥が深いものって作者が計算し尽くして、もう削ぎ落とす部分がないくらい作り込んだ物だったり、また自然が気の遠くなるような年月をかけて創造したもの。
だからこそ美しく、いかにも単純に見えるわけですから。
自分のニオイを残したい
いずれにせよ、音楽だろうが映像だろうがオリジナルな作品、つまり0から1を生み出すことはモノ真似よりも困難なことです。
しかも、みんなが真似したくなるような、かっこいいオリジナル作品をつくるのは至難の業。
だから、自分はいつからか「オリジナルは無理でも、せめて自分らしいニオイが残せたらいいな」くらいの発想で仕事をするようになりました。
見ている人に「あいつらしいよな」とか思ってもらえるようなものなら良しとしよう。
(こういうところが凡人らしい)
それが例えば去年までやっていた「えほん旅」や「佐川さんの旅」などに繋がっていったわけですが、それが「自分の世界観が出せたのか?」どうかはいまだにわかりません。
しかし、これまで真似してきたものの蓄積があったからこそ出来たことはまず間違いありません。
まだまだ人生は続きます。
これからも素敵なものに出会ったらきっとまた真似するんだろうな、と思います。
きっとそれでいいんでしょうね。
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