お早うございます。早起きディレクターです。
前回のブログを書いてから非常に長いブランクになりました。
というのも、この8月中旬に半年も以上前から企画していた大学生時代の音楽サークルの「演奏会的な同窓会」を西宮の母校で開催することになり、その楽しい宴が終わると同時に気が抜けてしまいさらにその反動で夏バテ、軽い夏風邪で心も体もへろへろ。
そんな中、気力を振り絞って演奏会のVTRを編集していたら、なんだかこれもやたら楽しくなってきて・・・「俺ってこんなに同窓会好きやったんや!」という、ちょっとした戸惑いを感じているうちに、だらだらと8月が過ぎてしまいました。
「同窓会ってどうなん?」という人の気持ちもわからないではない
これまで小さな仲間内の同窓会というものには参加したことがあったんですが、正直そういうイベント事にとくに熱心な方ではありませんでした。
むしろ、日本の仕事人間によく”あるあるタイプ”で、これまでは心のどこかで「俺はまだまだ同窓会などに関わっているほどの暇はない」的な、ちょっと粋がった尖った気持ちも多少持っていたと思います。
実際、これまでは常に仕事のことが優先で、同窓会のことを真剣に考える気持ちの余裕はありませんでした。
でもあれですよね・・・
同窓会っていうのは懐かしくて甘美だけれど、そりゃあ恐ろしい(だからこそ楽しい?)場所ですよね。
だって多くの人間が人生のある特定期間に集まって体験した末に生じる複雑な感想や感情を、数十年後に再集合をかけて、もう一度そのデリケートな思いを強制再現させようというなかなか”お節介な社交場”ですから。
きっとある種の思い出なんて、Aさんにとっては甘美なメロン味でもBさんにとってはニオイのきついドリアンみたいな存在かもしれません。
(僕はドリアン擁護派ですが)
小中高大学によって同窓会もいろいろ
同窓会といっても大学時代くらいの集まりならば、友人関係もお互いの知力や性格や生活レベルもだいたい似通っていたり、あるいは、ある程度の予測ができるので、再集結することにそれほどの躊躇はないんですが、小学校、中学校時代の同窓会ということになると話はちとややこしい。
そもそも公立の小中学校なんてお金持ちから僕らみたいな貧乏人、”かしこ”から僕らみたいなアホまで様々な層の人間がごっちゃまぜに押し込まれているわけですから、子供時代はとにかく、大人になってからはその考え方にはますます差が出てきて、ばらつきが広がります。
僕も40代以降は中学校時代の同窓会のお知らせを何度か受けたこともありましたが、会ってみたいと思っている旧友たちはほとんどが不参加だったり(さっきも書きましたが、みんな生活に追われて同窓会どころではないんでしょう)逆に出席者たちの多くは当時あまりつきあいもなかった”ええとこの人々”であったりで、さらに参加する気力が萎えてしまう。
さらに高校といえは自分の場合はアホみたいな超進学校で、大規模な同窓会なんて誰も考えないような特殊な社会でした。
悲しい。
響き合う関係が一番楽しい
結局、いつだって僕らが求めているのは「一緒にいて響き合える」人々との関係なんですよね。
今回は10年ほど年齢差のある大がかりな同窓会でしたから、中には初めて出会う人間もいたんですけど、「音楽」という大好きな共通項があれば一瞬で調和(ハーモニー)してしまう。
同窓会に限らず家庭でも友人関係でも「響き合う」ということは、これから人生後半の重要課題なような気がしています。
ちなみに下の写真はあるハーモニカ奏者の後輩と演奏した「ミスティ」という曲の様子です。(彼女とはこの日が初対面でした)。
とても心に響いた瞬間でした。
もしかしたら今度は小中学校の友人たちと響きあえる機会が来るかもしれません。
人生、何が起こるかわからないですからね。
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