お早うございます。早起きディレクターです。
ここ十数年、日本では音楽界でいわゆる「大ヒット!」と言われる作品をあまり見かけなくなりました。
たまに小さくヒットしてもそれはCMやアニメ映画などのタイアップ曲で、曲調も売れ線にのっとって機械的に作られたような楽曲が目立つように思います。
「まるで何者かの意思で大量生産させられたような作品」とでもいいますか。
やっぱり国の経済の停滞は人々の気持ちさえも萎えさせ、そして文化までをも衰えさせるものなのでしょうか。
もはや、ちあきなおみの「喝采」や尾崎紀世彦の「また逢う日まで」のような人間味のある国民的名曲は誕生し得ないのでしょうか。
お客さんに喜んでもらう幸せ
自分はモノづくりをしている人間の生きがいって”創意工夫を凝らして”受け手側(お客さん)に喜んでもらうこと”だと思っています。
ディレクターという職業柄、これまでいろんな職人さんや料理人さんなどにそのことを質問してきましたが、大抵みなさん同じように答えてくれました。
「使ってくれる(食べてくれる)お客さんが喜ぶことが最大の幸せです」と。
もちろんそれはテレビディレクターだって同じ。
だからいつも番組を作る時には「頭と心を使って」そして同時に「自分もワクワク楽しみながら作業する」ことが当たり前だと考えてきました。
しかし、ここ数年のテレビ業界を見ているとどうも様子が違ってきているようです。
どうやら誰かが決めた「雛形通りに」ものを作ることに抵抗を覚えない造り手が増えているようです。
つまり「0から物事を考える」よりも、あらかじめ出来上がっているものをなぞって作ることが当たり前になってきた。
通りで似たような番組が増えるわけです。
これも長年に渡る経済の停滞が影響しているのでしょうか?
それらの番組はまるで色違いの格安な洋服が並ぶ大手衣料品店みたいです。
作る方は効率がいいんでしょうけど、なんだか世知辛い気がするのは自分だけでしょうか。
しかも、そういうふうに大量生産される商品って一見「親切そう」だけどやたらに注意書きが多かったりする。
「決して口や目に入れないでください」とかね。
こちらとしては「んなこと、わかっとるわい😠」という気分にもなります。
テレビも同様で、形式通りに作られた番組って親切そうだけど、やたら”くどい”。
そして造り手の「心」が感じられないことが多い。
テレビ屋は視聴者を舐めているのか?
ところで、最近見たYouTubeで、とある作家(テレビの構成作家)の方が「テレビを作っている中には視聴者を舐めている者が居る。」などと話していました。
もと関係者として言わせてもらえれば、残念ながら少しは当たっているように思います。
でも、そういった「人を舐める」タイプの人ってテレビに限らずどんな業界にもいると思います。
医者だって弁護士だって政治家にだってきっといるでしょう。
職人さんや料理人さんの中にもいるかも知れない。
つまり、そういった性格の人はどんな仕事についてもやっぱり人を舐めたような仕事をする。
で、話をテレビに戻すと、そんな視聴者を舐めているディレクター達だって、最初はそうではなかった。
たぶん「より親切に丁寧に番組を作りたい」という行為が積み重なった結果、そうなってしまったのかもしれません。
つまり、テレビが大好きな視聴者(特に高齢者)ってけっこう「純粋な人」(という表現で良いのかな?)が多いですから、造り手がちょっと効果音やナレーションなどの演出に工夫をこらすだけで、すぐに泣いたり笑ったり驚いたりと反応してくれて見事にこっちの術中にはまってくれます。
それは作り手側に腕(テクニック)があればあるほど顕著です。
番組が「今は@@が売れている!」といえば、視聴者は大急ぎでお店に駆けつける。
「**が体に良い!!」と放送すれば、すぐにそのメーカに電話注文が殺到する。
そんなことが繰り返された結果「視聴者って案外ちょろいもんだ」と考える残念な輩が出てきたのではないでしょうか。
だからこそ視聴者の皆さん(特に高齢者の皆さん!)どうか、テレビを盲信しないでください。
やたら親切で(阿呆に物事を説明するような)番組は少しだけ疑ってかかってください。
やたら扇情的に煽る(「なんと!その実態は!!」などの表現が多いような)番組を頭から信じないでください。
そういった番組はもしかしたら、あなたのタンスの中のお金にしか興味がないのかもしれません。
通販で効かない健康食品を買うお金があるのなら孫と旅行にでも行ったほうが心と体に良いかもしれません。
やっぱり良質な文化って造り手の「創意工夫」と「相手に喜んでほしいという気持ち」から生まれるものなのだと固く信じています。
ちなみに自分はあまり饒舌ではない「くちなし」のような番組が好みです。
古風過ぎるでしょうか?
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