お早うございます。早起きディレクターです。
倉本聰さん脚本の名作ドラマ「北の国から」が好きだという方は、今でも大勢おられるのではないでしょうか。
とくに僕の年齢くらいの人にはファンが多いはず。
かくいう僕もあのドラマが大好きで、過去のDVDをこれまでもう20回ほどは見たでしょうか。
ドラマの舞台である北海道富良野の風景にも憧れて過去に何度も出かけましたし、撮影現場後にも訪れました。
そしてその旅行はいつも自分のテレビの仕事が一段落する9月から10月にかけてでした。
だからでしょうか、いまでも9月10月の季節になると、なんとなく「北の国から」の舞台が恋しくなってうずうずしてきます。
秋は「北の国から」の季節です
そんなわけで、ここ1週間ほど、またまたドラマを最初から見直しています。
自分はかなり物覚えの悪い人間ですが、さすがにこれだけの回数を見ると登場人物たちのセリフもほとんど頭に入っています。
ドラマ一回目の冒頭。
東京のある喫茶店で「モルダウの流れ」のBGMが流れる中、いしだあゆみさんと竹下景子さんのシーンがあって、続いて北海道富良野を走る列車内。
蛍「川!」
五郎「空知川だよ」
純の語り「景子ちゃん。お見送りありがとうございました。北海道に今日着きました。」
こうして東京から故郷の北海道へ戻り、大自然の中で暮らす一家の雄大なドラマが始まるわけですが、でも、ドラマも出だしのうちは「自然賛美」や「夫婦のあり方、親子のあり方」など、興味深いけれども(個人的には)”ちょっとだけ小理屈っぽい”ところも多少見られた気がします。
それが、回を重ねるうちに次第に主人公たちがいきいきと、文字通り「生命」を吹き込まれたように動き出し、(僕の個人的感想で言えば)第五話あたりから物語がひっつの面白いTVドラマから「詩」に昇華しはじめました。
「北の国から」TVドラマが詩になった第五回目
第五回目といえば”「北の国から」ファン”にとっては「るーるるるるるる」という蛍の呼び声で有名なキタキツネに純が思わず石を投げてしまい、父・五郎に殴られるシーンが思い出されることでしょう。
でもそこにいたるまでには当然理由があって、いろんな人物の思いがもつれ合います。
その回のエピソードとして、3人のある共通項を持った人物が登場します。
ひとりは偏屈者の老人・笠松杵次(大友柳太朗)。
もうひとりは地元のちょっとだけ奔放な若い女性・吉本つらら(熊谷美由紀)
そして主人公の黒板純(吉岡秀隆)
そのある共通項というのは「3人とも仲間内や家族で疎外感を感じている」という点です。
ある夜。
みんなで楽しく宴会をしている場所なのにどうしても仲間に入ることができない吉本つららがいます。
その場面にはいる純の語り。
「つららさんの気持ちが何となくわかった・・・あの人(笠松杵次)も僕やつららさんと同じ
人から避けられる部類の人で・・・」
今の人なら「神回」っていうのかもしれませんが、この瞬間に自分のこのドラマへの共感度が激しく増して、ドラマにめちゃめちゃ入り込んでしまいました。
そして自分の中で「北の国から」がひとつのTVドラマから「詩」みたいなものに変化しました。
奇跡は二度は起こらないのか?
だからいまも「北の国から」を何度も見ますし、当時もその後何年かはそれこそ夢中になってストーリーを追いかけたものです。
ただ残念ながら、そんなシリーズも後年に特番シリーズになってからはそこまでの爆裂的に詩的な共感度を得ることは難しかった。特に毎回おきまりのように最初は明るく楽しいけれど、最後は暗くて思い話になっていく展開には若干ついていけなくなりました。(特に大人になっていく蛍ちゃんの変わりようが悲しかった)
もちろん現実の生活はそんなに単純に幸福なものではありませんから、「ドラマも安直にハッピーエンドにしたくない」という作者の思いもわかりますが、それにしてもあまりに救いのない展開にはちょっと演出陣に疑問にさえ抱くことさえありました。
とはいえ「北の国から」が圧倒的に素晴らしいドラマであることは間違いないし、少なくとも一度はひとりの視聴者に「詩」を感じさせた物語ってやっぱり奇跡です。
他にも圧倒的な感動を伝えてもらったドラマはたくさんありましたが、詩的なものまで匂わせるドラマってそれほどありませんでした。
とくに最近では残念ながらそういった作品とはめったに出会えませんし、奇跡の予感どころか内容的に安直でご都合主義で作られているようなドラマや情報番組も散見します。
でも、それはもしかすると観ている自分の感性が衰えてきたのかもしれません。
だとすればそれは悲しいことです。
ああ、また北海道に行きたいなあ。
そんな想いに駆られて、昨日は思わずポテトサラダを作ってしまいました。
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