お早うございます。早起きディレクターです。
8月も終盤に入り、風や雲にそろそろ秋の気配を感じるようになりました。
ことしの夏も”あほ”みたいな猛暑で、体はかなりきつかったんですが、いざその夏が終わるとなると嬉しい反面”妙に物悲しい”気持ちになってしまう・・・人間とは不思議なものです。
夏の終りの風景
そういえばかつてディレクター時代にもこの季節に地方のロケに行けば、いつもみるものすべてが物悲しく映っていたものです。(あほですね😓)
特に夏のロケ終わりの夕方5時頃、帰りのロケ車の窓から見る夕方の雲はとても物悲しく、切なく感じたものでした。
でも、そんな瞬間が好きでした。
ロケの帰り道 |
自分は”わびさび”を語るようなガラではないのですが、なぜか若い頃から音楽にせよ小説にせよ、どこか悲しみ(もちろんユーモアも)を伴っているようなものに惹かれました。
ただ面白いだけ、ただかっこいいだけのものよりは、その裏に”切なさ”が漂っているもののほうがすっと体に入ってきて心の滋養になるような気がします。
(皆さんも日本人ならきっとそうですよね?)
だから自分の作るものにも多少はそんな趣味が反映しているのかもしれません。
例えば四季の美しい風景でも”ただの情報”として見せられたら見るものには「ああ、きれいだった」しか残りません。
できればそこに悲しさや切なさなど、なんらかの感情が伴ったほうがこのみです。
当然、映像に出演してもらう人物にもどこか儚さを感じさせるような人物を求めます。
特に後ろ姿に哀愁のある人がいい。
たとえお笑いの人であってもそんなタイプの方が好きです。
(今はサンドイッチマンの富澤たけしさんのなんともいえない悲しさが好きです)
芸術は悲しみから出来ている?
そういえば先日YouTube番組を見ていたら、ある科学者の方が「昔から人の心に残る優れた芸術作品には、たいてい悲しみが伴っている・・・」みたいな話をしていました。
だからでしょうか「今は心に残る音楽や小説が少なくなってきた」んだそうです。
実際、いまの芸術が昔に比べて低調なのかどうかはしりませんが、少なくとも音楽やテレビに関してはそんな傾向はあるようです。
(でも、あいみょんは大好きです)
今のテレビ主流はなんとなく「生活の役に立ちそうな」なもの。
そして”人の欲望をそそる”情報や、逆に”人の不安を煽る”ニュース。
そんなこんなで、最近ではテレビもあまり見なくなりました。
笑いの奥には恐怖がある
美しさの裏には悲しみがある
そして笑いと悲しみは表裏一体である
これは昔からいわれている事です
まさに「寅さん」や「松竹新喜劇」みたいな世界ですね
というわけで夏休み最後の日曜日。
きょうも流れる雲を眺めながらこの世の”無常”を楽しみたいと思います。
ほな。
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