お早うございます。早起きディレクターです。
1年前から朝のウォーキングを続けており、コースの途中にある生魂神社にもよくお参りするんですが、ここの境内には神社にいわれのある大阪の文人たちの像も置かれています。
井原西鶴。
織田作之助。
浪速の”無頼派”作家・織田作之助さんとのご縁
織田作之助という人は昭和初期に無類派作家として活躍しましたが、病気のため若干33歳の若さで亡くなりました。
33歳で名を残すのですから大層な才能の持ち主だったのでしょう。
でもこれまでこの方の小説は何一つ読んだことがありませんでした。
むろんあの「夫婦善哉」が放蕩もののボンボン息子(柳吉)と肝の座った浪花芸者(蝶子)のユーモラスで奇妙な夫婦譚ということくらいは知っていましたが、まあ古い小説だしいまさら「夫婦善哉」もなあ・・・という気分でいたのです。
だから生玉神社の境内で作之助さんの銅像と目があってもなんだか申し訳ないような、面目ないような気分でいたところ、先日ふと天王寺の図書館で作之助の短編集を集めた古びた単行本を発見して思わず手にとって読んでしまいました。
「夫婦善哉」・・・とても面白いです。
話の筋はもちろんですが、驚いたのが小説のところどころに書かれている大阪の食いもの屋さんのくだり。
例えば有名なカレー屋の「自由軒」などの描写がいきいきとしていて、よほどこの方は食べることにこだわるお方だったんだな、と今更ながら感心させられます。
作之助さんとのご縁発見
さてここからが本題なんですが、その織田作之助さんが描かれた食べ物屋のなかに、戎橋筋そごう横にあった「しる市」という”どじょう汁”などを食べさせる汁もの専門店が登場します。
この「しる市」というお店、今はもうありませんが当時は知る人ぞ知る人気店だったらしく、
聞く所によれば、実はうちの奥さんの両親が経営していた店なんだそうです。(ということを一昨日聞かされました!!!)
正確に言えば妻の両親が経営する一代前の時代に当たるんですが、それでも「しる市」は「しる市」。
若き日の父母夫婦がその場所でともに汗を流しながら生活していたと思えば”凡才な婿殿”としても感慨ひとしおです。
一昨日はその古い単行本を遺影の前に飾っておきました。
きっと父母も喜んでいたことでしょう。
そしてなんだか織田さんがとても身近な人に思えてきました。
ご縁って不思議なものです。
ちなみに現在、南の千日前と北のお初天神にある「鳥よし本店」は奥さんのおじいちゃんが丁稚奉公からの叩き上げで築きあげたお店です。
「しる市」はもうありませんが時間があれば千日前の「鳥よし」にぜひ足をお運びください。
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