お早うございます。早起きディレクターです。
ディレクターには毎回斬新なアイデアで視聴者を唸らせるような超優秀な人々もいますが、その大部分は「それほど優秀ではないけどそれなりに出来る平凡」なタイプです。
そして自分もそんな凡庸な一群のひとりです。
思えば36年前に大手制作プロダクションに入社して以来、こんなに長くディレクター生活を続けるとは思いもよりませんでした。
当時は今とは違ってもっと体育系の縦社会でしたから、先輩ディレクターと行動をともにする時はいつも緊張してビクビクしていました。
実際のところ自分はかなり「使えない」アシスタントでしたから・・・
役に立たないアシスタントだったころ
あの頃の自分を思い出すといまでもやりきれなくなります。
当時の自分は運転免許を持たないものだからロケハンに行っても運転席のディレクターの横でただ黙って座っているだけ。
ディレクターは若輩者に声もかけてくれません。
いつも気分は針のむしろでした。
そして現場に到着しても地図も読めないから、今居るのがどこなのかさっぱりわからない。
いつもロケ本番で技術スタッフを間違った場所に誘導してはディレクターに怒鳴られていました。
そんな時自分に愛嬌があればまだ救われるんですが、なにしろいつも怒られてばかりいるから縮こまって小さくなっています。
つまり「暗い人間」だから周りのスタッフも持て余します。
だから今でもたまにスタジオなどでおどおどしている若手を見かけると胸が痛みます。
最悪だけど幸運だった部署移動
そんな生活が1年近く続いたある日の午後、突然会社の上司に呼び出されて部署の移動を言い渡されました。
そして命じられた行き先がテレビ放送とは全く関係のないある業界を扱うケーブル放送でした。
もちろん相当ショックでした。
でも結局はその移動した場所で、かけがいのない人や友人と巡り会うのですから人生何が幸いするかわかりません。
そしてそんな出会いや新しい経験のおかげでいつか仕事にも自信がつき、周囲にも明るく振る舞えるようにもなりました。
2年後には希望する番組も担当させてもらえました。
ようやくひとりの凡庸なディレクターになれたんです。
後にアシスタント時代はひとり勝手に焦っていただけで、その頃にも自分をちゃんと見てくれていた先輩がいたことを知りました。
今もそんな先輩方には感謝しかありません。
凡庸な仲間たちに花束を
いまや新型コロナの影響で人々の生活は大きく変わりましたがそれはテレビ業界も同じです。
もっともテレビの場合はコロナが出現する以前から徐々にその体力や地位を失いつつありましたから、ウィルスが蔓延しようがしまいが「今は自ら変化しなければならない時期」だっただけなのかもしれません。
自分の周りもここ一年で大きく変化し、多くの仲間たちと別れを体験しました。
今、彼らがどこで何をしているのかはわかりません。
ただ、自分のような凡庸なタイプは変化することで前へ進めることだけはわかっているつもりです。
多くの愛すべき凡庸な仲間たち(そしてそこに至る発展途上の若者たち)とまた再び出会うことができれば最高です。
そしていつかまた普通だけど心のこもったあたたかい作品を一緒に作れることを願います。
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