お早うございます。早起きディレクターです。
僕は貧乏な家の”ぼんぼん育ち”ですからやたら「派手で華美」なものを好まない、というか、びびってしまう傾向があります。
旅をするにしても、あまりに有名な観光名所や人気行楽スポットにいくと気恥ずかしくてなんだか落ち着かなくなります。
(いまだにディズニーランドやUSJには行ったことがありません)
当然、担当している「とびだせ!えほん」という旅のコーナーにもそんなディレクターの性癖は反映されていまして、普通の旅番組なら好んで訪れるような場所にはまず訪れません。
だからある土地を下見で訪れたとしても、旅行ガイドに掲載されているような人気店や観光スポットにはあまり興味を持ちません。
耳障りのいい言葉がちょっと苦手です
あと、もうひとつあんまり近づきたくない場所(施設?)があります。
それは日本各地(特に地方都市で)たまーに見かける「ふれあい@@センター」とか「幸せのの**広場」みたいな名前がつけられた施設です。
たまに「ふれあい」を「ふれ・愛」なんて当て字で書かれた建物に出くわすと、こっ恥ずかしくて思わず走り出してしまいます。
(あくまで個人的な見解です。全国のふれあい関係の方々すいません)
だって本当にふれあっている町でみんなが幸せなのなら、あえて「ふれあい」なんて名前を付けたりしないでしょう。(そうでもないのかな?)
まるで僕には本当は「ぼったくりバー」なのに「明朗会計!安心@@バー」と看板に書かれた怖ーいお店みたいな気がしてしまいます。
(あくまで個人的な見解です。全国のぼったくりバー関係の方々すいません)
ちなみに僕の記憶では1989年頃の「ふるさと創生事業」で地方にお金が回り始め、いろいろな施設が増え始めた頃から「ふれあい」系のネーミングで名付けられた建物が増えた気がします。
人はみなひとりでは生きていけないものだから
ところで「ふれあい」といえば山川啓介さん作詞いずみたくさんが作曲して1974年に中村雅俊が歌い大ヒットした名曲でもあります。
あの曲がヒットして以来「ふれあい」という言葉はまるで天から降った雨水が土中深くに染み入るように、いつのまにか日本人の心のなかに浸透して(なんだかよくわからない快楽を伴って)いったように個人的には思っていました。
でもいつのまにかその言葉に嘘くさいものがまじるように感じはじめたのは、あのあと国がバブルなどで荒廃しはじたためか?
それとも僕の根性がいつのまにかひんまがったからでしょうか。
いずれにしても「ふれあい」はいつしかその本来の言葉の意味に追いつかなくなってしまいました。
これは言葉にとって不幸なことです。
あれから30年。
こんどは東北の大地震が起こったあたりから「絆」という言葉をよく見聞きするようになりました。
そして今回、新型コロナが蔓延してオリンピックを東京に迎えるにあたり首相が念仏のように唱えている「安心・安全」
もちろん「ふれあい」「絆」という言葉自体には何の罪もありません。
ましてや山川啓介さん、中村雅俊さんは何も悪くない。
(「安心安全」はかなり安直で問題がある言葉な気がしますけど。)
ベタとふれあう?
そんな事を思いながら、今朝は散歩でうろちょろうろちょろ歩いていたんですが、さすがに我が家の近所(上六あたり)では「ふれあい」という文字も「絆」も「安心・安全」という文字さえ見かけませんでした。
ああよかった。
ひとつ気になったのは「ベタの専門店」と書かれたお店のシャッター文字です。
このネーミングのほうがよほどベタちゃん(何それ?)と”ふれあっている”ような気がしませんか。しかも潔い。
こんな事を思う私はやっぱり根性がひん曲がっているのでしょうか。
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