お早うございます。早起きディレクターです。
みなさんはテレビにいったい何を求めていますか?
その答えは人それぞれ違うでしょうが、ディレクターはいつもそのことを考えながら演出、番組作りをしています。
そしてもちろんその演出方法はディレクターによって違います。
例えばテレビスタッフたちがリポーターと一緒に町をぶらぶら歩きながらロケをしている時、彼らのまわりに何も出来事が起こらず、リポーターがじっと黙っている状態では何もうまれません。
当然です。
「いっさいの動きや感情のない動画などなんの価値もありません。」
だからディレクターはその現場に”何かの出会い”や”発見”を期待するわけですが、そこで何を求めるかはディレクターの個性や考え方によって全く違ってきます。
失敗を笑う?価値を見出す?
例えば若手リポーターが何かにチャレンジをするという企画のVTRを作るとします。
そんな時、あるディレクターは最新情報をまぶせながら、リポーターの若さゆえの無知や失敗をネタに面白(??)VTRを作ろうとします。(これが今のテレビ作りの主流です)
逆に同じリポーターを使っても、彼(彼女が)懸命に何かにチャレンジしようとする姿を通して人間の知恵や業のようなものを見い出そうとするタイプのディレクターもいます。
どちらが適切な演出であるとは一概には言えません。
僕は昔から偏固で地味な人間ですから後者のタイプを目指してきました。
もちろん自分も若い頃には出演者のちょっとした失敗を期待したり、その場しのぎの刺激を求めることはありましたが、今では自分の作品には見る者がほっとしてくれるような「美しさ」や人を納得させる「感情」を求めるようになりました。
たぶん僕と似た年代の視聴者ならきっと同じような感覚なのではないでしょうか。
もうこの歳になったらテレビの中の安易な”から騒ぎ”には関心を持てないものです。
そして人々はいつしかテレビから離れていきます。
かつてテレビは”夢の箱”でした
テレビっていつの間にか素人でも簡単に出演できるようになりましたが、それもそろそろ限界が来ているのかもしれません。
やはりテレビに出る出演者にはその人間(出演者)ならではの「技」や「芸」そして「知恵」があるべきだと思います。
そして彼(彼女)らの口から放たれる言葉には何らかの意味があってほしい。
テレビはかつては家庭にかかせない「夢の詰まった箱」だったのですから。
よくテレビで芸人さんたちが他の出演者を叩いたりからかったりすることが学校の「いじめ」につながる、と非難されることがあります。
それはもしかしたらテレビで紹介するほどの価値のない無意味なやりとりだからなのかもしれません。
もちろんそれが腕を磨いたプロの芸人さんならではの隙のない「突っ込み」や「いじり」なら僕も大歓迎です。
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