お早うございます。早起きディレクターです。
夏の陽よけのためにベランダで育てはじめたゴーヤがだいぶ成長してきました。
夏の陽よけのためにベランダで育てはじめたゴーヤがだいぶ成長してきました。
一ヶ月くらい前から黄色い花に小さな実(まるでおしゃぶりをくわえた赤ん坊みたいな実)をつけはじめたんですが、今朝、水やりの際にあらためて観察したら数箇所でいっちょまえの形に育っています。
中には小さいまま黄色くなって固まってしまったものや、かなりいびつな形に(くの字に)育っているものもいます。
人間にしろゴーヤにしろちゃんと育つものはいつの間にか育ってるんですね。
これまでTVの現場でたくさんのアシスタントディレクターと呼ばれる若者たちと一緒に仕事をさせてもらいました。
中には出合ったときから深い「ご縁」を感じてしまうような子もいれば、もう名前さえ思い出せない子もいます。(ごめんなさい)
でもみんなから”くま”ちゃんと呼ばれて可愛がられた女性アシスタントのことはきっと一生忘れないでしょう。
「前略旅先にて」アシスタントディレクター「くま」ちゃん
僕はかつては制作プロダクションに所属していましたので、アシスタントも同じ会社の若者である場合が多いのですが ”くま”ちゃんは違いました。
いわゆる「AD派遣会社」から選ばれて僕の担当している旅のコーナーのロケ現場にやってきました。
当時、彼女は確か20歳前だったと思います。
学校を出て数ヶ月しかたっていないのか、大人としての礼儀作法も口のきき方もなにも知らない「半分子ども」みたいな女の子でした。
しかも彼女は最初のロケの初日から僕をかなり不安にさせました。
というのも初めて出会った時から僕とは目も合わせないし、全然しゃべろうとしないのです。
”くま”ちゃんに嫌われた最初のロケ
”くま”ちゃんとはじめて出会ったのは2006年10月。
『ちちんぷいぷい』の佐川満男さんが出演する旅コーナー「前略旅先にて」の和歌山県川湯温泉から熊野古道へ向かうロケでした。
朝、ロケバスの前にやってきた”くま”ちゃんはスタッフに向かって一言小さい声で「よろしくおねがいします」と挨拶すると、あとは指定された自分の座席にすわったままひたすら沈黙です。
僕が何か冗談を言っても、驚いたような目をするだけで僕とは一言も口をききません。
後で本人に聞いたところによれば、僕が田舎にいる彼女のお父さんにそっくりだったからなんだそうです。
そんなこと言われてもねえ・・・。
佐川さんが川湯温泉で描いた絵 |
いつしかロケ隊のアイドルに
”くま”というニックネームをつけたのは出演者の佐川満男さんだったと記憶しています。
ころころとした体型と丸顔の笑顔が子熊のように可愛かったのでそれは彼女にはピッタリでした。
そんな彼女も一回目のロケが終わる頃には少し打ち解けてきて、カメラマンの田中さん(「とびだせ!えほん」でお馴染みのベテランカメラマン)や他の技術さんたちとは口をきくようになっていました。(でも、僕のギャグはスルーしていました)
そして2回3回とロケに同行するたびに彼女はテレビ撮影の魅力にどっぷりハマっていってしまいました。
というよりも、佐川さんを中心としたロケスタッフの家族のような空気感になついてしまったんです。
休憩中、佐川さんと二人ではしゃいでいる姿はまるでおじいちゃんと孫のようでした。
ある日、撮影も終盤にさしかかった頃、移動のロケバスに乗り窓から遠くを眺めながらなんだか憂鬱そうにしています。
「どうしたん?」とたずねると「ロケが終わって家に帰るのが寂しい」とつぶやきます。
また別の日。東北の泊まりロケから飛行機で戻った伊丹空港の大阪行きバス乗り場では、急に立ち止まり「みんなと分かれるのが嫌やー」と大泣きしてしまったこともあります。
行き交う人が見つめる中で、僕はただおろおろするしかありませんでした。
お年寄りのお世話がじょうずな”くま”ちゃん
そんな”くま”ちゃんですが有能なアシスタントだったか?と問われればそれは微妙です。
だって本人はただアシスタントとしてロケ隊と一緒にいれば楽しかっただけで、勉強して一人前のディレクターになるなんて考えてもいないようでした。
しかも「半分子ども」ですから僕の云うことも素直には聞きません。
あるロケの夜、宿泊先で「寝る前に少し焼酎を飲みたい」という佐川さんのために「フロントへ行って氷をもらってきてくれへん?」と頼むと彼女は「いや!」と、きっぱり断ります。
その理由を聞くと「だってフロントまでが遠いから・・・」
僕は思わずひっくり返りそうになりました。
そんな事を言うアシスタントにはこれまで会ったことがありませんでした。
だけど”くま”ちゃんにはとても優れた点がありました。
まず愛嬌があること。
きれいな風景や美しい曲に出逢うとすぐに感動できること。
そしてなにより取材先で出会うお年寄りにとても優しいことです。
特に体の弱っているお年寄りへの接し方には天性のものがありました。
当時60代後半だった佐川さんのお世話もあれこれ甲斐甲斐しくやっている姿を見ていると彼女には介護関係の仕事が似合っているんじゃないかと思い、何度もすすめたものです。
でも本人は「私はこのコーナーのアシスタントがいい」と、言うだけでした。
・・・・・・・
結局”くま”ちゃんとは5ヶ月ほど一緒に仕事をして別れました。
彼女の所属する「AD派遣会社」のスケジュールの都合もあって次の春には新しいアシスタントを迎えねばならなかったからです。
最後のロケの時は本当に寂しそうでした。
ロケ隊にとってもそのころには彼女は「現場の空気を作る」なくてはならないアイドルみたいな存在だったのです。
でも僕にはどうすることも出来ません。
それから数年後・・・
電話連絡があって久しぶりに大阪の街で会うことになった”くま”ちゃんは、すっかり大人の女性になっていました。
上品なワンピースを着たその立ち姿も口調もすっかりレディーで、とても「くま!」と呼べる雰囲気ではなくなっていました。
でも「あの頃のことを思い出すと恥ずかしくてたまりません」と、照れてうつむいたその雰囲気はやっぱりあの頃の子熊のようにチャーミングでした。
彼女は僕らの元を離れてからも何度か別のテレビの仕事をして、ある時一念発起して、正式に看護士の資格をとることにしたのだそうです。
そして時は流れて今年(2021年)7月1日。
彼女はお年寄りや病気の人々のための新しい訪問看護ステーションを生野区にオープンさせました。
今朝、届いたメールには「今後増えてくると予想されるコロナ陽性自宅療養者の健康観察を、保健師に変わって地域の訪問看護師がするという取り組みが始まるのですが、当ステーションもそれに参加する事にしました」との文章が力強く書かれていました。
彼女の介護ステーションの名前は「縁(よすが)」といいます。
彼女らしい良いネーミングです。
がんばれ!”くま”ちゃん。
60歳代ランキング
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿
ご意見