お早うございます。早起きディレクターです。
僕は倉本聰さん脚本の名作ドラマ「北の国から」が大好きで、今もDVDなどで繰り返し見ています。
若い頃は撮影の舞台である北海道富良野へ何度も旅行にでかけるほどのファンでした。
だからドラマに出てくるセリフもけっこう覚えているのですが、この年になってふと思い浮かぶのが「北の国から’92巣立ち」で菅原文太さんが主人公の五郎さんに問いかけたあの言葉。
「北の国から」のファンなら覚えている方も多いのではないのでしょうか?
ある時、主人公・黒板五郎(田中邦衛)の息子である純(吉岡秀隆)が恋人のタマ子(裕木奈江)を妊娠させてしまいました。
慰謝料をはらう余裕などない貧乏な五郎は純を引き連れて、自分が育てたかぼちゃ(5個!)を手土産に、タマ子が下宿する親戚の家に謝罪にでかけます。
そんな親子に対してタマ子の叔父(菅原文太さん)が問いかけるセリフです。
「誠意って何かね?」
ミスを犯したり、誰かを傷つけてしまって相手に心から謝罪しなくてはならない時に、いったいどうすれば相手に許してもらえるのか?
どれほど頭を下げれば相手は納得してくれるのか?
当時も「かなり難しいことを聞くものだなあ・・・」と、ドラマを見ながら深く考えこんだものです。
誠意って何?心?お金?
まさか、かぼちゃ?
あれから30年。
還暦を過ぎ61歳となった今、あらためて「誠意って何かね?」と問われたら・・・
残念ながらまだ答えがわかっているとは言えません。
でも、”誠意”というものにはきっと「時間」とその長さに比例するだけの「重み」が伴わなければならないのだろうな、ということはわかります。
人間、歳を取るということはそれだけ時間の価値がわかってきますから。
「誠意のある番組」って何?
きっと”誠意”をあらわすには”それなりの時間と手間”がかかるんでしょう。
それは僕らのような、ちっぽけなテレビ番組を作る人間の場合でも同じです。
もしあるVTRを作るにしても、ネットや情報雑誌などからの借り物のアイデアだけで作られたものからは”誠意”や”深み”はまったく感じられないはずです。
少なくとも自分の足で現場を訪れ、そこでくりかえされる人々の生活の営みや歴史的な時間の流れを自分の五感で感じる。
そんな当たり前の作業をなんどもなんども繰り返す。
そして磨き上げる。
そうしないことには深みのある作品など生まれてこないということは今ならわかります。
きっとあの日のドラマの中でも五郎さんはもっともっと謝罪のために足を運び時間をかけるべきでした。(たぶん)
ただ、手作りのかぼちゃには菅原文太さんも多少なりとも心が揺れたかもしれません。(かぼちゃの甘さ同様、五郎さんの甘い考えでしたが)
社会の”誠意”
令和の時代になってコロナが蔓延してこの世が大きく変わってしまった今、あらためて”誠意”ということについて考える機会が増えました。
議論も中途半端なままにオリンピックもはじまりました。
いままで反対していたのが嘘のように、手のひら返しで競技に興奮して煽り立てるものもいます。(もちろん僕が属するテレビメディアも同様です)
そんななか、コロナの感染者は相変わらず増え続け、来週の8月2日からはまたもや大阪に緊急事態宣言が発令されようとしています。
政治家さんたちはどれだけ時間をかけて「磨き上げて」対策を考えてくれたのでしょうか?
残念ながら今回も彼らの対応にはその場しのぎ的なものしか感じられず心は揺れはしません。
ましてや”誠意”などまったく感じられません。
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