お早うございます。早起きディレクターです。
僕は25歳の春にテレビ業界にはいったのですが、当初は一般のマスコミ志望者と同じように放送局に勤務することを志望していました。
”テレビ番組を作る”ことは”放送局に入社する”ことだと考えていたんです。
テレビ番組をつくる人々
でも年齢の問題や自分の実力不足もあって思うような就職もきまらずにあれこれ悩んでいた時に、とある重鎮の方の言葉がきっかけで考えが大幅に変わるようになりました。
その方にはこう言われました。
「ほんとうにテレビで番組を作りたいのなら、放送局でなくても制作プロダクションでいいんじゃないか」
テレビがはじまった昭和30年代頃は、放送番組は主に局のディレクターが作るものでした。しかし次第に制作プロダクションも出現しはじめ、昭和50年頃にはプロダクションのディレクターも一線で活躍しだしていました。
テレビ番組を作るのはディレクターだけではないけれど・・・
そのアドバイスしてくれた方は放送業界に多くの知り合いがいる有名な文化人であり、しかも大学で親しくしていた仲良しの女性友達の父親でもありました。(お母さんはさらにフレンドリーな文化人です)
お宅が当時の僕の下宿そばにあったので、たまに音楽クラブの仲間たちとおじゃましてはお風呂を使わせてもらったり時に高価なお酒をごちそうになったりと、今から思えば恥ずかしくなるくらいの厚かましい振る舞いばかりしていたのですが、やはり娘の仲の良い友人ということもあってかご両親とも気安く接してくださり、訪れるたびにいろいろな体験談も話してくれるようになりました。
だからその時の言葉のニュアンスも他人事ではなく、親身に溢れたものだったと記憶しています。
さらにこうも言われました。
「放送局に勤務していても必ずしも制作番組が作れるわけではない。でもプロダクションならきっと番組が作れる」
優秀なディレクターとの別れほど残念なことはありません
実際この業界に入って放送局員の方と付き合う機会も増えましたが、やはり局のような大きな企業に入るだけあってそこには優秀で頭脳明晰な人がたくさんいます。
しかし放送局には制作以外にも営業や事業、広報などさまざまな部署があり、それぞれが会社をささえあっていますから、なかにはテレビ制作の現場をのぞみながらも別の部署で働かざるを得ない人もいます。
そしてそれがアイデア豊富で僕が好むような”人間味に溢れた番組”を作ることのできる才能の持ち主であった場合には、これほど残念なことはありません。
もちろん放送局には放送局ならではの人事の都合があるので仕方がないのですが ・・・・
まだまだ現役ディレクターです
あれから35年の月日が流れ幾人かの優秀な放送局の制作マンとも出会いました。
そして親しくなった彼らは時に他の部署に移動していきました。
幾人かの人間とはその移動をきっかけに交流がなくなくなることもありました。
そんな中、僕は相変わらず平凡なひとりの現役テレビディレクターであり続けています。
もちろんTVディレクターと言えども僕は制作プロダクションの人間でしたから待遇や報酬などは大したことはありませんが、自分のような頑固で単純なタイプにはやっぱりそんな環境が似合っていたような気がします。
今更ながらにあの時のアドバイスの言葉をありがたく感じるようになったのは、たぶん歳のせいだけではありません。
「だからあと1年、いやあと5年、10年」
しつこいと言われようがだれかに望まれているうちは、まだまだディレクターを続けさせていただくつもりです。
そういえばあの時、こうも言われました。
「本当の楽しみは趣味でとっておいたほうがいい」
はい、先生のその言葉通り”大好きな音楽”は僕の一生の趣味にとってあります。(しかも時には仕事の役にもたっています)
そういえば35歳のころ「ふるさとZIP探偵団(関西テレビ)」という番組を担当していた時に、先生に内容を新聞のコラムで褒めていただいた時は最高に嬉しかったなあ。
「ふるさとZIP探偵団には、笑いの中に、今どき忘れられた懐かしいペーソスがある」
藤本義一先生、あの時は本当に貴重なアドバイスをありがとうございました。
ぼくはまだまだ現役です。
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