お早うございます。早起きディレクターです。
今年に入って寒い朝が続きます。
朝が寒いのはたしかにつらいのですが、その反面、ちょっと懐かしい気もします。
僕らの子どもの頃の冬は今よりもっと寒かった記憶がありますから。
学校へ行く途中も靴の中の足が冷たかった。
でも、水たまりなどに張った氷を見ると嬉しくてつい夢中で割って遊んだりしていました。
昔の冬は寒かった
先日奈良県のロケ先で聞いた話ですが、絵本作家・長谷川義史さんの場合は大阪府藤井寺の木造平屋育ちで家の中から半分外に出た洗面場ですから、冬の朝に起きて顔を洗う時も氷が張って強烈な冷たさだったそうです。
そんな時はいつも母親が金ダライに沸かしたお湯を入れて水を温かしてくれたんだそうですが、その愛情が子ども心に悲しくて仕方がなかったとか。
悲しき母性愛
この感情は大阪市内の都会に育った僕にもよくわかります。
母親の母性愛ほど子どもに切なさを感じさせるものはありません。
僕も子どもの頃は冬になると唇や肌が乾燥していつも痛がっていましたが、そんな息子を見て母親はいつも僕に軟膏をぬろうとしました。
それはありがたいのですが、幼心にどこか鬱陶しさがあったのも事実です。
そして「ももの花」の甘ったるい香りがつらかった。
そしてそんな風に思う自分の気持ちがせつなかった。
幼い少年の頃でもそう思うのですから中学高校になればなおさらです。
もちろん今ではその思いやりには感謝していますが、母性愛って時に悲しくなることがあるもんです。
もしかしたら、そんな些細な悲しみを何度も体験することも大人になるには必要なことなのかもしれません。
あの頃から数十年。
いつのまにか日本の社会もわれわれも妙な生暖かい環境に慣れてしまっていたようです。
今年の冬はコロナの事もあってか、そんなことをしみじみと感じてしまいます。
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