お早うございます。早起きディレクターです。
10月4日。
今朝は目が覚めてからどうもそわそわして落ち着かないので、ちょっと早めに家を出て真田山のあたりを歩いて来ました。
歴史散歩です。
BGMはよしだたくろう「どうしてこんなに悲しいんだろう」
幸村と右近とガラシャ、それぞれの人生
朝5時20分。だんだん日の出も遅くなっています。
でも今日は風もなく少し温かい。
真田山の急坂。
かつてこのあたりに真田幸村は”大阪城の構え”として穴を掘って「真田丸」を作り、家康を徹底的に苦しめました。
しかし家康の計略で淀殿が和睦してしまったため「真田丸」は大阪城の外堀とともに破壊されます。丸裸になった大阪城はもはや家康の敵ではありませんでした。
幸村は翌年の夏の陣で奮戦むなしく破れ去ります。享年49歳。
その「眞田丸」、今は大阪明成学園のグラウンドになっています。
坂を下ると「どんどろ大師」があり、玄関脇では浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」でおなじみの生き別れの母娘、お弓・おつるが再会するシーン。
このあたりの坂は本当に急です。当然、絵になる階段もたくさんあります。
権力者の名誉や欲望のために戦に駆り出され、こんな急な坂道を登り下りさせられた名もなき足軽たち。本当に辛かったことでしょう。
カトリック玉造教会の前には高山右近の像。
ちょっとグルメ情報
公園のそばには大阪の食通には有名な和食処「ながほり」があります。
普通の住宅に並んでいるのでちょっとわかりにく。僕も一度だけおじゃましました。もちろん味は抜群です。上町1丁目3−9
BGMはグレングールド 「バッハ: Goldberg Variations, BWV 988 - Aria」
右近は晩年は家康によるキリシタン追放令のためマニラに追いやられ63歳で病死しましたが、自分が信じることに愚直なまで素直に生きる様は尊敬に値すると思います。
この写真は昭和38年に創建された当初のカトリック玉造教会。
周りは団地だらけだったんですね。右奥には大阪城の天守閣も見えています。
教会を過ぎるとこれまたカトリック教徒で有名な細川ガラシャにまつわる「越中井」です。
時は1860年。関ヶ原の合戦前。
大阪城から東軍方の武将がいなくなった隙に西軍の石田三成はその家族を人質に取ろうとしますがガラシャはそれを拒み家臣に命じて壮絶な最期を遂げた場所です。
当時はこの辺りに屋敷の台所があったことから「越中井」と呼ばれます。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」
当時、ガラシャは36歳でした。
1時間ほどの短い散歩でしたが道中いろいろな歴史を垣間見ることができました。
ということで帰ったらもう6時半。
頭の中のBGMでは再び拓郎の歌声が響き始めます。
♩人の心は温かいのさ 明日はも一度ふれたいな
これから心を落ち着けて「MBSマンスリーリポート」の録画を見ます。
取材してくれたみなさま本当にありがとうございました。
では今日も良い1日をお過ごしください。
千日前通り |
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