先日、奈良の山里を車で走っていたらピンク色をした可憐な花を見かけました。
「ん?」と車から降りて確認したらなんと彼岸花、曼珠沙華ではありませんか。
赤色ではなくてピンク色です。
こんな曼珠沙華は生まれてはじめて見ました。
興奮して思わずバシャバシャと写真を撮ってしまいましたけど・・・これ、本当の曼珠沙華ですよね。違うのかな?でも感動しました。
嘘が混じると誰かを不幸にする
テレビを見ていると素直に感動、共感できるものとそうでないものがあります。
両者の違いには出演者の人柄や作り手の技術などいろんな理由があるのですが、その要因の大部分はディレクターの「正直」さにかかっていると常々僕は考えています。
もちろんそれはテレビだけでなく音楽でも絵画でも同じだと思います。
例えばこんな稚拙なブログでもできるだけ「正直」「素直」に書こうといつも思っています。
「嘘」とは言わないまでも、自分の本意でない言葉を書いてしまうと途端に走り出したくなるような気恥ずかしさ、落ち着かなさを感じてしまう。
テレビの1次情報と2次情報
テレビ番組ではグルメなどの情報を扱う場合、そのネタもとが情報雑誌の記事だった、なんていうことはたまにあります。
それはそれでいいんですが、それなりに経験を積んだディレクターなら他人の書いた記事を鵜呑みにしたりはしません。でも若いディレクターだと記事の美味しそうな文章や写真に踊らされることもあります。
しかし問題なのは、そのディレクターが忙しさにかまけて自分の五感を使って事前に確認、調査しないで取材してしまうことです。味見をせずに取材するなんて最悪です。
もしそれが本当に美味しいものだったとしてもそれはあくまでも他人が書いた「2次情報」に過ぎません。
ディレクターが実物と出会った時の感動やそのディレクターならではのフィルターを通して初めてその情報は「生きた情報=1次情報」になります。
その前の大事な「儀式」をすっ飛ばした作品が人に伝わるはずがない。
結局、自分の五感を信じるしかないです
しかもそんなVTRはすぐに視聴者に見透かされます。
自分の本意ではないことから始まった企画なのでロケ現場ではいつも何かを取り繕わねばなりません。結果、時間もかかります。(優秀なディレクターは経験とアドリブでそこをなんとかしのぐものですが)
結果、嘘があるのでつまらないものになる。
困った挙句に自分の都合のいいようにナレーションやテロップを書きますが、そんなものにはなんの迫力もありません。
そしてそういう作品は往々にして関わる誰かを不幸にします。
それは取材対象かもしれないし出演者、技術スタッフかもしれないしディレクター本人かもしれない。でも一番不幸なのはそれを見せられた視聴者です。
悲しい話です。
ピンクの曼珠沙華はもしかしたら僕の見間違いかもしれません。
(後でネットで調べたらたまに見かけることもあるそうです)
例えこれがテレビで紹介するものとしては地味なもの、知識人にとっては当たり前のものでも、そこに作り手の感動があれば視聴者と共有できる何かが生まれるかもしれない。
僕はいつもそう考えています。
さて、次回の「とびだせ!えほん」では奈良の高原です。
五感を駆使して正直に、そして素直に歩いてきます。
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