僕はどちらかというと「自己中心」タイプです。
といっても誤解しないでください。
それなりに周りに合わせることもできますが、基本的には自分の考えを重視するタイプだということです。
そもそも昔から「世間」というものがあまり身近に感じられないタイプでした。
世間って自分にとってはいつもぼやーっとしたイメージでした。
そんな風な人って今はわりと増えてきてるんじゃないんでしょうか。
世間って言葉を聞くと、暑苦しくてなんかジメジメしたイメージが湧く人
その「世間」という言葉に「様」がつくとさらにその意味は複雑になっていきます。
かつて事件を起こした犯人の関係者はテレビや新聞のインタビューにいつもこう答えました
「世間様に申し訳ない」
今では不倫などをしたタレントや不祥事を起こした企業の偉いさんがテレビの謝罪会見で深々と頭を下げます。
そしていいます。
「世間様に申し訳ない」
そしてテレビの前の「世間様」がそれを見ながら怒っています。
そんな時、テレビの前の僕は世間様って一体誰やねん?と、いつも不思議な気分になります。
だってあなたたちのことを僕は全然怒ってないし、そもそも無関係だし、いったいあなたは誰にあやまっているの?
もしかしたら僕はその人たちの世間からは「仲間外れ」されているのでしょうか。。。
世間は人を仲間外れにする?
仲間外れといえば「いじめ」という行為についても子供の頃からいまいち理解できませんでした。
大体「いじめ」なんて言うダサイ言葉をいったいどこの誰がひろめたんでしょうか?
いじめる子、いじめられる子はいつの時代にもいますが、大抵の人はそんな子供じみたアホな行為には関わりたくないと考えているはず(と個人的には思っています)です。
でも自分では無関係だと思っていても「一緒にやらいじめないとお前もいじめちゃうぞ」という「低体温な蛇」みたいな輩はどこにでもいます。
そしてそれに怯えて蛇仲間が増えて行く。
もしかしたらそれが世間様かもしれない。
一番やっかいなのは、自分は関係ないのでただ「ぼーっと」外から見ていると、いきなり声だかに「お前の無関心ぶりがいじめのを増長しているのだ〜っ」
なんて叫ぶ「高体温の熊」みたいな人です。
そういう人たちが増えていって、ますます仲間外れにされる。
「同調圧力」に逆らうことで世間からはみ出してしまうわけです。
「同調圧力」
コロナで日本が変わって行く中、ますますそんな世間の圧力が強まって行くことを憂慮した「同調圧力」という対談本を最近買いました。
サブタイトルに”新型コロナが炙り出した世間という名の「闇」に迫る”と書いてあります。
本のなかで演出家の鴻上尚史さんが「世間って目に見えない、どこかにいるかもしれない他者、といった恐怖をイメージさせます。漠然としている」と語っています。
その文章を読んで世間とはスピルバーグの映画「ジョーズ」や「激突」に出てくる見えない恐怖みたいなものじゃないのか?と考えました。
あーこわ!
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