新しいパソコンのおかげで京都大原の編集仕事もはかどっています。
いつも最終的に完成するまでには4、5回はやり直すんですが、昨日はもう2周目が終了しました。
ちょっと余裕ができたので録画していた「半沢直樹」を楽しみました。
でも見ていたらなんだかいろいろなことが気になりはじめました。
半沢直樹は理解できていますか?
「半沢直樹」は面白いのですが、話がスピーディーだし扱う内容が金融に関する専門的な事が多いので僕のような”経済オンチ”には馴染みのない用語なども度々出てきます。
株価の上げ下げやらのシーンはついていくのにやっとです。(第3回目)
しかも会社の人間関係や人事にまつわる荒々しい感情や会話に今ひとつ理解というか共感ができない。
それでも出演者の明確なキャラ付けや達者な演技もあって「なんとなく」分かったような気にさせられます。
昨夜は、そんな自分に気づいてちょっと恥ずかしくなりました。
「陸王」や「下町ロケット」の時はそんなことはなかったんですが。
なんとなく理解している時にはご用心
僕たちのVTR作りの仕事も編集がある程度まですすむと中身が「なんとなく」見えてくるものです。
でも、この「なんとなく」という言葉には注意しなければならないといつも思っています。
例えば後輩達のまだ成立していないVTRをチェックする時にもこの「なんとなく」を感じることがたまにあります。
そんな時「君は自分のVTRの内容をしっかり把握しているの?」と聞くと、大抵の後輩ディレクターはちょっと照れ臭そうに首を振ります。
作った本人がなんとなくしか理解していないものを他人が理解できるはずがない。
じゃあどうすればいいか?
完全に消化できるまで何度も何度もやり直すしかありません。時には根本的に構成を変更することもあります。
これはロケの現場でも同じことです。
その時、自分が演出している内容(意味)を自分は把握しているのか?ちゃんと頭の中で編集しながら取材ができているのか?
もしかしたら「なんとなく」取材していないか?
もちろん半沢直樹はとてもよく考えられたドラマで僕の理解力が追いつかないだけです。
でも、なんとなくにはご用心。
「なんとなく幸せ」はいいことなんですけどね。
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