制作プロダクションのディレクターは入社して4、5年経も経ちコーナーの一本でも任されるようになるとアシスタントディレクターがつくようになります。
ぼくの場合もはじめてADがついたのはたしか27歳頃でした。
5歳ほど年下のB君はポッチャリ体系でいつも明るく目のくりくりした素直な若者でした。
その頃よく業界で言われていた「明るい丁稚」(AD)の典型のようなタイプです。
でもまだ若かった自分はいっちょまえにADがついても彼に教えるものは何もなく、毎日ただ夜遅くまで一緒にいるだけでした。申し訳ないですが今から思えばしょうがない。
谷町筋で車をぶっ飛ばすアシスタントディレクター
よく深夜の編集終わりに愛車で自宅まで送ってもらったんですが、天王寺の谷九あたりの高架下アップダウンの手前に来ると必ずアクセルをふかして猛スピードで突っ込み車をジャンプさせます。その嬉しそうに運転する笑顔とは違っていざロケ現場に行くと妙に緊張してしまい、技術さんたちに叱られてはシュンとしていました。「テレビにはちょっと無理かな」と幾度か思ったものですが、その後は制作の仕事をやめて放送局付きの運転手になったと聞いています。
素直なのが一番ですが・・・
運が良かったのか悪かったのか、これまで下についてくれた若者たちはだいたい素直なタイプが多かったようです。多分ディレクターが扱いにくい人間だから会社もよくよく考えたんでしょう。
もちろんなかには素直で真面目だけど少し我の強いタイプもいました。まあ、そういう自分を主張するタイプのほうが早く頭角を表します。
ゆうてもディレクター(現場監督)ですから。
ある女の子は全国ネット番組のアシスタントとして張り切っていました。でも現場にはあまり連れて行ってもらえず、いつもパソコンの前に座って夜遅くまでリサーチ仕事ばかりしていました。本人はロケに行きたいけれどそれを会社や上司に主張できなかったんでしょう。
結局彼女は1年ほどでやめてしまうんですが、素直すぎるのもどうかと思います。
ちなみにそんな素直で真面目な女の子の作る資料は、やたら丁寧でめちゃめちゃ文字が多い。しかもレイアウトも凝っていて、まるで資料が商品であるかのように仕上げてきます。
これはしんどいやろなあ、と思っていたものでした。
そもそも自分は「ディレクターの一番の労力はロケ現場にとっておく」というのが基本的なスタンスです。
いくら資料や台本をきっちり仕上げても、出来上がった映像が面白くなければなんの意味もない。
文字をたくさん書きたければ日記かブログにでも書いておけばいい。
などと素直に不埒なことを考えているのでブログが全然上達しませんが。
でもなんやかんやいうても人間はやっぱり素直で可愛げのある奴が一番です。
車好きのBくんは今も夜のハイウェイをぶっ飛ばしているのでしょうか。
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