映像制作者にとって作品を作る上で「遊び」はかなり重要だと思います。
自分の場合それは音を使った遊びであることが多いのですが、新しいアイデアや発見はいつでも人をわくわくさせるものです。
仕事といえどもそこに自分なりの「遊び所」を見つけたら、がぜん嬉しくなるわけです。
テレビや映画を見ていると、たまに監督や脚本家、また出演者みずからが楽しんでいるような場面、演出に遭遇しますが、そんな「遊び」場面は見ているこっちまで楽しくしてくれます。
いまなら三谷幸喜さんや宮藤官九郎さん脚本のドラマでもよく遊びを見かけます。
昭和の頃なら、演出家の久世光彦さんたちがドラマの中で自分の好きな音楽を使いながら遊んでいました。
もちろん本人たちは遊びながら必死にもがいているのでしょうが、テレビ画面からは心から楽しんでいるように移ります。
一見、遊んでいるように見える番組
テレビや映画を見ていると、たまに監督や脚本家、また出演者みずからが楽しんでいるような場面、演出に遭遇しますが、そんな「遊び」場面は見ているこっちまで楽しくしてくれます。
いまなら三谷幸喜さんや宮藤官九郎さん脚本のドラマでもよく遊びを見かけます。
昭和の頃なら、演出家の久世光彦さんたちがドラマの中で自分の好きな音楽を使いながら遊んでいました。
もちろん本人たちは遊びながら必死にもがいているのでしょうが、テレビ画面からは心から楽しんでいるように移ります。
もしかしたら大衆に人気がある理由のひとつもそこにあるのかもしれません。
もちろん遊びもやりすぎると「ええ加減にせえよ」と怒られますが、遊びが一切ない、ただマニュアル通りに作られたような作品はつまんないもんです。
「孤独のグルメ」は音遊び番組でしょ
うらやまましく思いました。
この人気シリーズは主人公が一人で食事するシーンがメインだから、もちろんグルメ映像は凝った撮影をしています。
この人気シリーズは主人公が一人で食事するシーンがメインだから、もちろんグルメ映像は凝った撮影をしています。
食の部分ももちろん楽しみです。
でも、自分はいつも「孤独のグルメ」は”音遊び”番組だと思って「食」と同じくらい「音」に注目しています。
まず主人公のモノローグがすばらしい。
これは読み手が役者さんだからできることでしょう。
そして食事中のものをたべる場面などの音使いの生々しさ。
まず主人公のモノローグがすばらしい。
これは読み手が役者さんだからできることでしょう。
そして食事中のものをたべる場面などの音使いの生々しさ。
音声さんもさぞ、やりがいがあることでしょう。
毎回流れるブルース調のテーマ曲にも遊びを感じます。
不協和音を上手に使ったテーマ曲も愉快ですが、それを若干アレンジした曲を作ってみたり、主人公の心情に寄り添いながら時に昭和のGS調の曲を当ててみたり。
かと思えば大人をからかうようなマンガチ的な音楽を使ってみたり、エレガントに装ってみたり、もう「やりたい放題」。
とにかく、最初から最後まで自分たちが楽しみたい!時に人をからかいたい!!としか思えないような音使いですが、そんなところがやっぱり大好きです。
こうして演出と音がうまく調和すると作業していて気持ちがいいから集中するし、思わずやりすぎてしまう。
このかね合いがきっと難しいんでしょう。
このかね合いがきっと難しいんでしょう。
でもせっかく映像業界で仕事をしているのだからただただ生真面目だけにやっていても仕方がない。
どこかで遊ばないと損です。
どこかで遊ばないと損です。
自分もたまに「いつもやりたい放題やってますね」と非難なのか、褒め言葉なのかよくわからないような感想をいただきます。
お調子乗りですから、たまには外すこともありますがその言葉はわりと嬉しいもんです。
そういえば子どもの頃も新しい遊びを考えた晩は翌朝が待ち遠しくて寝られませんでした。
「ええこと考えたーー」っていうウキウキした気分です。
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